「スーサイド・スクワッド」楽しんじゃいました

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何かと話題のDCEU新作「スーサイド・スクワッド」を観た。海外で8月に公開された時点から大荒れで話題(?)だった本作だが、「まぁ大荒れするのも仕方がないのかもしれないな、自分は好きだけど。自分はすげー好きだけど!!!」というのが正直な感想だ。

Queenの「Bohemian Rhapsody」に合わせて作られた公開前トレーラーの人気ぶりから改めて内容を改変してポップに仕上げた映画になったと聞いたが、もしポップになっていなかったら一体どんな内容だったのかそっちが知りたくてしょうがないのに、今回監督を務めたデヴィッド・エアー監督(元海軍)は「バットマン v スーパーマン」(以下、BvS)のアルティメットエディションのように、新たにオリジナル版を映像媒体として残す気はないらしい。
リック・フラッグ役のヨエル・キナマンに軍の訓練受けさせてないでアンタももう一回海軍のトレーニング受けてこい!冗談でも「Fuck MARV〇L」って言っちゃうなら最後まで責任持てよ!ザック・スナイダーみたいに!
(ザック・スナイダーの件はコチラを参照)

以下、ネタバレ注意


■召集された「自殺特攻隊」
悪役が悪役らしく悪役面して悪役っぽい展開になるのかと思ったら、意外と毒気が少なくて驚いたのは確かである。もっと殺伐とした、駆け引きの末に互いを出し抜く…そんな内容になるのかと勝手に思っていた。ジューン・ムーン博士に憑りついた太古のメタヒューマン、エンチャントレスとその弟による人類の滅亡を阻止する事が最終的に彼らの目的になった。どうしよう、ここまで書いてこれ以上深く掘り下げる事が何もない。それくらいストーリーは単純明快だった。
登場人物はそもそも出所に無縁な はぐれもの(エル・ディアブロ)、一匹狼(デッドショット)、変わり者(ハーレイ・クイン)、オタク(キャプテン・ブーメラン)、問題児(キラークロック)、鼻つまみ者(スリップノット)、厄介者(リック・フラッグ)、学会の異端児(エンチャントレス)…そういった人間の集まりだ。あとカタナちゃん。

時系列として、スーサイド・スクワッドはBvSの後の話だ。スーパーマン(クラーク・ケント)が死んだ今、新たな"スーパーマン"(強大な力を持った異星人、あるいはメタヒューマン)がまた地球に現れたら、どう対抗するのか?その対抗策として結集されたのが、政府のどの機関にも属さない、故に誰が責任を取る事も無い犯罪者集団「タスクフォースX」だ。
先にも述べたように一体どんな殺伐展開になるのかと思いきや、「タスクフォースX」として召集させられる際に首に仕掛けられた超小型爆弾をARGUSのトップであるアマンダ・ウォラーやリック・フラッグ大佐にいつ起爆されるか分からないから「とりあえず殺られる前に殺ろう」な団結力が生まれていた。お前ら可愛いな。

この首に爆弾が仕掛けられて仕方なくアマンダ・ウォラーに従うという物語は、アニメーション作品「バットマン:アサルト・オン・アーカム [Blu-ray]」で既に実現している。
元よりスーサイド・スクワッド自体、これが元ネタになっている部分がある(コミックにも同じ展開があるのかもしれないがこれしか知らないのであしからず)ので、興味があれば是非観てみて欲しい。「これこそ僕俺私が観たかったスーサイド・スクワッドだ」と思うかもしれない。
もうネタバレの内にも入らないほどあっちゅー間に旅立ったスリップノットさん的役割を担うキャラクターもちゃんといるので注目して欲しい。BvSにも出てきたあの人のモデルになったよ★彡

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タスクフォースXがただただ頑張るだけの映画ではなく、誰もがその登場を期待していた、ジャレッド・レト演じるジョーカーは強烈だった。彼はまさにトランプのジョーカーのごとくタスクフォースXらの輪を乱す(主にハーレイに関して)存在となる。「登場時間が短過ぎ!」と言われているがそもそもタスクフォースXを中心にした話であってチームメンバーではないジョーカーはあくまで脇役なのは当然なので、この意見は一蹴させていただく。その短かったかもしれない出演時間でも彼とハーレイ・クインを取り巻く関係性は自分としてはとても好ましいものだった。


■ハーレイ・クインというアイコニックと「悪人」の定義
そのジョーカーの恋人でありジョーカーの"創作物"でもあるハーレイ・クイン。とても賢く立ち回る事もでき、その予測不能さが魅力だ。彼女は元精神科医でアーカムアサイラムという精神病院でジョーカーの診察を請け負ったことで狂った過激なかわいこちゃんとなる。そもそも彼女はジョーカーと恋に落ちた時点で狂ってしまったのだろうか?恐らくそこからじゃなく、元からそういった側面があるのだ。

アサルトオンアーカムの特典映像で語られる内容なのだが彼女がそもそも精神科医となったのは、問題を抱える人間に興味があり、少なからず自分との共通点を見出していたと思われる。その彼女の心の隙を突き、それまで彼女自身がブレーキをかけて抑え込んでいた"本当の自分"を解き放ってくれた人物こそジョーカーだ。感情を隠し切れず無邪気に陽気に殺人を楽しみ、悪魔のように人を操って一貫性の無い言動を繰り返す。自分の手でつくりあげたハーレイ・クインという存在は、ジョーカーにとっても唯一の理解者であり、健気に寄り添おうとする彼女にジョーカーも恋をしている。

映画ではジョーカーがハーレイを身体的にいたぶる表現も散見される。元々はそのジョーカーからの共依存状態を脱するハーレイという像が予定されてたらしいが、今回初めて登場するキャラクターばかりでハーレイとジョーカー自身も初登場だというのに、いきなり精神依存からの脱却が描かれても…と個人的にも思うので、それこそ2時間強全部ハーレイとジョーカーの物語だったのなら別だが、今回はそうではないので共依存関係が良い塩梅で描かれていたのではないだろうか。これからに期待。

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ウィル・スミス演じるデッドショット/フロイド・ロートンは、何かとハーレイを気に掛ける事がある。PTSD(というより思い出に浸ってる?)により階段で茫然自失となってしまった彼女に声をかけたり、ジョーカーと共にヘリで去ろうとする彼女を撃ち殺さないようにしたり。女、子どもは殺さないらしいデッドショットらしい行動でもり、近年のコミック(New52というシリーズ)でジョーカーから自立しようとするハーレイと三角関係になる展開をなんとな~~~く汲んでいるのかなと思わなくもない。(恋愛感情は一切ない事は念を押す)
それはさておきツバ広ストローハットの私服フロイドさんむちゃくちゃ格好良くて惚れた。あんなパパ欲しい。

そして「スーサイド・スクワッド」において、"悪人中の悪人"はジョーカーただ1人だけだった。ハーレイもジョーカーほど悪人ではない。途中、タスクフォースXのメンバーが、バーに立ち寄り物思いにふけるユニークなシーンがある。怒りに任せて愛する家族を自らの炎の力で殺めてしまった家族への想いを語るディアブロに対し、「何か(平穏な暮らしを)期待していたわけ?背負いなさいよ。私たちは悪人よ」外見ではどれだけ取り繕ろおうとも、心の内はみんな醜いのだ彼女は語る。

そこに意外性を感じたのだがどんなヒーロー映画も、設定上の悪役/ヴィランは自分のことを「悪人」だとは言わない。設定上はヴィランでも、自分の中の行動理念に従って行動しているから「悪人」だと自分では認識していないからだ。強盗や殺人は「本当はやってはいけないこと」だとハーレイ自身も理解しており、精神科医だった過去も相まって人の心理が分かるのだ。
「スーサイド・スクワッド」に登場する「悪人」達は行動を制限され服従を強いられている立場にあるのも手伝ってか、改めて己を振り返ると世間一般的な「悪人」という立場にあるからこそ、その代償として命を軽んじられた存在である事をまるで嘆いているようにも見えた。想えばBvSでも、バットマン/ブルース・ウェインは「我々は昔から犯罪者だ」と自覚している。ゴッサムシティを護るという大義は建前上は美しく見えるが、実際その手は血で汚れている事を重々承知している。何この現実を突きつけてくるスタンス。手厳しいわぁ。

ハーレイやディアブロ、デッドショット、キラークロックらもそうだが「犯罪に手を染める」=「悪事」ではなく「生き抜くために必要な選択だった」ように思う。結果的にそのせいで「悪人」と呼ばれるようになる訳だが、何処か本意ではない気持ちも見え隠れする面がある。ただ、キャプテン・ブーメランは強盗とぬいぐるみが趣味というんだから捉えどころがなく色んな意味でピエロな存在であった。中の人が30歳だっていうんだから驚きですよ。

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追記:
エンチャントレスが何でも望みを叶えると言い、彼らに幻想を見せるシーンがある。デッドショット/フロイド・ロートンは娘の目の前でバットマンに捕えられたあの日の夜の出来事が無ければ、愛する娘と共に何気ない日々を過ごせたかもしれない事を想い続けている。(故にバットマンを撃退する幻想になっている)
最後にキラークロックが光の柱に爆弾を投げ込みそこに銃弾を撃ち込む際、エンチャントレスに再度「もうやめて」とあの日のように止めに入る娘の幻影を魅せられる。エンチャントレスに服従をすれば娘と一緒にいられるという望みは適う。それでもディアブロの言うように、どんな魔法を使おうが自分がしてきた「過去は変えられない」。その業を背負った上で本物の娘から毎日送られて来る手紙を想えば、正しい行いを選択するのは心からの悪人ではない証拠だ。演出がちとクサいのは認める。

自分としてはスーサイド・スクワッドは「悪人が集合した映画」では無く、「"悪人"として生きる事を余儀なくされた"正義のヒーロー"にはなり得ない人物たちの映画」という認識になった。人は誰でもヒーローになる事ができる。でもヒーローの道を敢えて選ばない者もいる。それが彼らの物語でありそれが彼らの生き方だった。

ここまでだいぶ褒めた内容しか述べていないが、手離しで文句なしの大絶賛をする訳にはいかないというのが本当のところではある。明らかにおかしいだろ!そのスイッチ押したら2秒後に爆発するんじゃなかったのかよ!という明らかな矛盾点もあったし、あんたはなーーーに今更落ち込んでんだよ!とか、どうせならもっとズバズバドスドスやちゃってよバッツ~~~など、色々惜しいと思う所はある。だがそれ以上に、愛すべき要素も詰まったおもちゃ箱のようなこの映画がどうしても嫌いになれないのも事実だ。
追記:爆弾の件は自己解決した。スイッチを再度押し直せば止まるみたいだった。エンチャントレス弟を爆破する際のカウントは1秒だった。


■アメコミ映画のむずかしさ
ここからは独り言なので流してもらって結構なのだが、どうもクリストファー・ノーラン監督が手掛けた「ダークナイト三部作」が尾を引きずっている。引き摺っているのは映画ではなく、受け手の方の話だ。特に2作目の「ダークナイト」に登場した故ヒース・レジャーのジョーカーの姿が真のジョーカーであると固定概念化している節がある。やれ「ヒース・レジャーのジョーカーには遠く及ばない」だの「やっぱりダークナイトのジョーカーじゃないと」など。いや、これ「ダークナイト」の続きじゃねェから。

「スーサイド・スクワッド」という単体の映画、ひいては今後のDCEUシリーズにおいて登場する事となったジャレッド・レトのジョーカーと、ダークナイト三部作のジョーカーは全くの別物だ。「スーサイド・スクワッド」自体がクソ映画だと思ったのなら仕方がない。「使い方が悪くて魅力が薄かった」なら分かるが「ヒース・レジャーのジョーカー程の魅力が無い」と言われると、得も言われぬ虚無感が湧きあがってしまうので面倒臭い。ヒース・レジャーのジョーカーを否定するつもりは毛頭ないし、詳細は伏せるが他作品を意識している、いやしていない!とか、本当に面倒臭いなと心底思った。





「キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー」以上に評価が真っ二つとなった本作は、アメコミヒーロー映画の中で相当な異端児となった。「〇〇が△△で駄目だった」という人がいれば、「〇〇が△△だから良かった」と同じ題材で全く逆の評価をする人もいる。先のジョーカー云々も含め、「他人の評価は気にするだけ無駄」なのだと改めて学んだし、自分の直観で良いと思ったものを褒めて新たな"好き"を見つける方がよっぽど生産性があると認識した。
初めての、異色の悪役集合映画として物議を醸した点では、ある意味ピッタリな題材だったのかもしれない。ありがとうスーサイド・スクワッド。

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